諸国神社めぐり

愛宕信仰

愛宕信仰は,愛宕神社(京都市右京区嵯峨愛宕町)を総本社とする信仰である。本社を勧請した神社は,全国に九百社を数えるという。火之迦具土神(あるいは火産霊神)を祭神とすることから,現在では一般に防火の霊験が期待されている。

創祀の時期は古く,大宝年間(八世紀初頭)に泰澄(泰澄は白山信仰とも結びつけられている)が神廟を建てたとも,また天応元年(781)に和気清麻呂が白雲寺を建てて愛宕大権現としたとも伝えるが詳細は不明である。

愛宕山は早くから修験道の本拠地として栄え,山伏らによって愛宕信仰が全国に広められた。
愛宕山が京都御所の北西の国境にあることから,国境を守護して外敵を退ける神威が期待された。また神仏習合時代には勝軍地蔵が本地仏とされ,多くの戦国武将の信仰も集めた。明智光秀は織田信長を攻める前に愛宕神社で連歌の会を催し,徳川家康は慶長八年(1603年)に江戸の守りとして愛宕神社を勧請した(港区愛宕の愛宕神社)。
直江兼続(1560-1620,上杉景勝の側近として知られるが,若い頃は美貌により謙信の小姓を勤めたとも伝えられる)が兜の前立に「愛」の字をあしらったのは愛宕信仰(あるいは愛染明王信仰)によるともいう。

→愛宕神社総本社公式サイト:愛宕神社(外部サイトに移動します)

新潟の愛宕神社(一部)


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