諸国神社めぐり

白山信仰・白山神社

白山(大汝峰)
白山神社(ハクサンジンジャ,シラヤマジンジャ)は,全国におよそ二千七百社あるとされる。特に岐阜,福井,新潟,愛知,石川の諸県に多い。
白山信仰とは,加賀,越前,美濃の三国にまたがる白山(はくさん)への崇敬を源流とする信仰である。白山は,御前峰(2,702m),剣ヶ峰(2,677m),大汝峰(2,684m)を中心とする山塊の総称である。常に雪を冠した光り輝く山容により,富士山,立山とともに古来「三霊山」とされてきた。

その秀麗な姿から,白山は太古からの自然発生的崇敬の対象であったであろうが,平安時代になって仏教的要素が加わり,さらに発展した。白山の御前峰には十一面観音(白山妙理菩薩の本地仏)が,大汝峰には阿弥陀如来(大己貴命の本地仏)が,別山には聖観音(大山祇神の本地仏)が,それぞれ金銅仏として置かれ,これ以後,仏教や修験道と結びついて信仰が拡大していった。

平安時代になって,白山妙理権現が近江の比叡山に勧請され,山王七社(上七社)に列せられた。白山神社が日吉大社の摂社となったのである。これ以後は天台宗の布教にともなって白山信仰も全国に広がることになった。
泰澄上人(たいちょう,八世紀の僧で,愛宕信仰にも結びつけられている)によって白山が開かれたれたとする伝承が成立したのもこの頃である。

白山比咩神社拝殿
白山比咩神社外拝殿)
信仰圏の拡大の結果,白山山麓の加賀,越前,美濃にはそれぞれ信仰活動の拠点が形成された。加賀の白山寺,越前の平泉寺,美濃の長滝寺の三か所で,「白山三馬場(ばんば)」と総称された。三馬場は競って活動し,それぞれの系列の末寺が全国に広がっていった。江戸末期の白山信仰拠点の過半は,美濃の長滝寺系であったという。現在,岐阜県に特に白山神社が多いが,そのほとんどが長滝寺系であろう。
さらに,白山信仰は越前にゆかりのある親鸞や道元の活動にも結びつき,浄土真宗や曹洞宗の布教とともに勢力を広げた。

明治に至り,神仏分離政策によって全国の神社で仏教要素の排除が進められた。白山系神社も例外ではなく,山頂の仏像は除去され,仏堂も撤去された。寺号も改変され,加賀の白山寺白山本宮は「白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)」に,平泉寺白山中宮は「平泉寺白山神社(へいせんじはくさんじんじゃ)」に,長滝寺白山中宮は「長滝白山神社(ながたきはくさんじんじゃ)」に,それぞれ改められた。
ところが,この三社のうち加賀の白山比咩神社こそが白山信仰すべての本源と定められた。その理由は,当社だけが『延喜式』(神名帳)に載っていたからである。その結果,平泉寺と長滝寺の権威は相対的に低下した。全国に広がっていた平泉寺と長滝寺につながる信仰拠点は,その由緒を改訂し,みずからの本社を加賀白山比咩神社と称するようになった。こうした経緯により,長滝寺の系統であったはずの岐阜県の多くの白山神社も,現在は加賀の白山神社を勧請したことになっているのである。

祭神については,伊弉諾尊あるいは伊弉冉尊とされたこともあるが,現在の白山神社のほとんどは,菊理媛神(ククリヒメ)を主祭神としている。なぜ白山信仰と菊理媛が結びついたのかについては,はっきりしない。
菊理媛は神話では影が薄い存在である。『古事記』『日本書紀』の本文にはまったく登場しない。わずかに『日本書紀』(神代上)第五段の一書(あるふみ)にその名が見えるだけである。菊理媛が登場する部分は次のような話である。

伊弉諾尊追至伊弉冊尊所在処。(中略)
時泉守道者白云、有言矣、曰、吾與汝已生國矣、奈何更求生乎、吾則當留此國、不可共去。
是時、菊理媛神亦有白事。伊弉諾尊聞而善之、乃散去矣。

イザナギは妻のイザナミのいる所まで追いかけていった。(中略)
その時、黄泉の国の道の番人が言った。「伝言がございます。〈私はあなたといっしょに国生みをすませました。これ以上生むものがありましょうや。私はこの国にとどまらねばならず、いっしょに帰ることができないのです〉」。
その時、菊理媛神もなにか語った。イザナギはそれを聞いてほめ、別れて立ち去った。

まったく要領を得ない不思議な話である。死者のことばを仲介する巫女を神格化したものが菊理媛だとする解釈もある。
菊理媛神ではなく「白山姫神」を祭神とする神社もあるが,同じ神であろう。
なお,上記の神話にもとづいて,白山神社ではイザナギ(伊弉諾尊)とイザナミ(伊弉冉尊)も祭神に加えられることが多い。

新潟市の白山神社(一部)〈新潟市神社総覧より〉

新潟県の白山神社(一部)〈新潟県神社探訪より〉


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