諸国神社めぐり

将門塚(千代田区大手町〈おおてまち〉)

将門塚
将門塚(将門首塚)は,大手町交差点の北北西230メートルにある。
平将門(?〜940)の首塚の跡とされている。
将門は「新皇」を自称して下総で挙兵し,敗死して平安京で晒し首となった。本朝最初の晒し首とされる。
時がくだって嘉元年間(1303-1305),この一帯で疫病が流行し,これが将門の怨霊の祟りとして恐れられた。
時宗の真教上人が,将門に「蓮阿弥陀佛」と追号して供養し,延慶二年(1309),当時ここに隣接した神田明神(現在の神田神社)にその霊を合祀した。
その後,この場所は酒井家の庭園の一部となった。庭園内には古墳と思われる塚(土盛り)があった。
江戸時代に神田明神は現在地(外神田)に移転したが,塚はそのまま残された。
明治になって,この場所は大蔵省の敷地となった。
その頃から,敷地内の塚を「将門の首塚」とする主張があらわれた。発掘調査がおこなわれ,首や遺体は発見されなかったが明治三十六年(1903)に「将門塚」が史跡に認定された。
塚は,関東大震災(1923)後に壊され,大蔵省の仮庁舎が建設されたが,大臣を含む多くの関係者の不審死あるいは負傷のため,仮庁舎は取り壊された。
将門の刑死後千年にあたる昭和十五年(1940)には,大蔵省庁舎が落雷によって焼失した。
また戦後,進駐軍がここで工事を始めた時も工事関係者が事故死するなどの凶事が続き工事が中止されたという噂がある。

将門塚灯篭
塚は現存しないが,将門の墓とされていた石灯籠が保存されている。

(東京都千代田区大手町一丁目)
2009.10.17