諸国神社めぐり

仁科神明宮(大町市社〈やしろ〉)

仁科神明宮参道入り口
仁科神明宮は,JR(大糸線)信濃沓掛駅の東2.3キロメートル,社の宮本地区に鎮座する。
かつてこの地に皇大神宮(伊勢内宮)の御厨(荘園)があり,これを守るために仁科氏によって創建された。
祭神は天照皇大神である。
創建の年月は不明であるが,後冷泉天皇の時(1045-1068)とも推測されている。
天正十年(1582)に仁科氏が滅んだ後は,松本藩によって保護された。
明治五年(1872)に郷社となり,同二十六年(1893)に県社に昇格した。
一ノ鳥居から長い参道が東向きに延びている。
仁科神明宮境内入り口
境内は「仁科神明宮の社叢」として長野県の天然記念物に指定されている。
仁科神明宮境内
参道が北向きに折れると二ノ鳥居がある。
仁科神明宮神門
参道の先の石段を登ると,三ノ鳥居がある。平成五年(1993)に遷宮がおこなわれた伊勢神宮から払い下げを受けて建立された鳥居である。
鳥居の先に神門が見える。
仁科神明宮神門と拝殿仁科神明宮神門
仁科神明宮拝殿
神門の奥に拝殿が建っている。

仁科神明宮本殿と中門
拝殿の奥に中門と本殿がある(中門と本殿の屋根が,釣屋で連結されている)。
本殿は20年ごとに遷宮を繰り返していたが,松本藩の管理下で寛永十三年(1636)の造営を最後に遷宮はおこなわれず,それ以後は部分的な改修が施されるにとどまった。
すなわち現在の本殿は江戸初期の建築物であり,細部には室町期の様式が保存されている。
現存する最古の神明造の神社建築で,本殿,釣屋,中門は国宝に指定されている。
仁科神明宮本殿細部仁科神明宮中門細部
本殿(左)と中門(右)の細部。
同じく神明造の伊勢神宮の社殿は萱葺きであるが,当社は檜皮葺きである。

境内には多くの境内社が祀られている。
仁科神明宮境内の都波岐社
手水舍近くに都波岐社(猿田彦命)の祠がある。
仁科神明宮境内の疱瘡社と難湖社
左は疱瘡社(須佐男命),右は難湖社(金山彦命)。
仁科神明宮境内の熊野社,白山社,鹿島社,春日社,三島社,北野社
奥から熊野社(伊邪那美命),白山社(菊理姫命),鹿島社(武甕槌大神),春日社(天児屋根命),三島社(大山祇命),北野社(野見宿弥命,菅原道真公)。
仁科神明宮境内の簀社と武山社
神門に向かって右に神楽殿があり,その横に小祠が並ぶ。
左は簀社(穂高見命),右は武山社(大地主神)。
仁科神明宮境内の稲荷社と伊豆社と八幡社
神門の左には,三棟の祠が並ぶ。奥から,稲荷社(宇賀魂命),伊豆社(彦火火出見命),八幡社(譽田別命)。
仁科神明宮境内の子安社,九頭竜社,下諏訪社,上諏訪社,下加茂社,上加茂社
境内の西側に,南北方向に祠が六棟並ぶ。
奥から,子安社(木花咲耶姫命),九頭竜社(地主命),下諏訪社(事代主命),上諏訪社(建南方富命),下加茂社(加茂武角身命),上加茂社(加茂別雷命)。

(長野県大町市社1159)
2017.9.5

国宝 仁科神明宮(公式サイト)


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