諸国神社めぐり

下御霊神社(京都市中京区下御霊前町〈しもごりょうまえちょう〉)

下御霊神社社頭
下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)は,阪急(京都線)河原町駅の北1.5キロメートル,京都御所の南に鎮座する。
「御霊信仰」にもとづき,冤罪を被って世を去った貴人の怨霊を鎮める神社である。
貞観五年(863)の御霊会の記録が残っている。
御霊会では崇道天皇(すなわち早良親王),伊豫親王(桓武天皇の皇子),藤原大夫人(伊豫親王の母),藤大夫(藤原廣嗣),橘大夫(橘逸勢),文大夫(文屋宮田麻呂)の六座が祀られたが,これに吉備聖霊と火雷天神を加えて八所御霊としたのが当社の発祥である。
吉備聖霊は他の六座の和魂,火雷天神は同じく六座の荒魂である。
初めの鎮座地は現在地の北1.5キロメートルの下出雲路,御霊神社(上御霊神社)の近くであった。御霊神社に対して当社が「下」と通称されたのである。
鎌倉時代には南西1.5kキロメートル(新町通出水通の付近)に遷座した。応仁の乱以降は御神体は北山に逃れ,祭礼も絶えた。
天正十八年(1590),豊臣秀吉による区画整理で現在地に鎮座した。
享保年間(1716-1736)には,霊元天皇(第百十二代)が当社に行幸した。
霊元天皇は当社への崇敬が篤く,崩御後の当社への併祭を遺言し,天中柱皇神として相殿で祀られている。
下御霊神社鳥居と正門下御霊神社正門の彫刻
下御霊神社拝殿下御霊神社拝殿から本殿を見る
拝殿は寛政十年(1798)の造営である。
下御霊神社本殿
天明八年(1788)に京都を襲った大火災で社殿を焼失した。
寛政二年(1790),当時の仮皇居(聖護院)の内侍所仮殿を移築した。これが現社殿である。
唐破風造の拝所の奥が幣殿と本殿が建っている。
なお表門(正門)は仮皇居の建礼門を移築したものという。

下御霊神社境内の三社
本殿の向かって左(北)に,春日社(春日大神),八幡社(八幡大神),神明社(天照大御神,豊受大神)を併せて祀る三社がある。
下御霊神社境内の五社相殿社下御霊神社境内の大国主社
境内の南に五社相殿社(日吉社,愛宕社,高知穂,大将軍社,斎部)がある。高知穂と大将軍社は同じ社殿である。
その隣(西)に大国主社(大国主命,事代主命)がある。
下御霊神社境内の猿田彦社
正門の近くに猿田彦社がある。猿田彦社には相殿で柿本大神と垂加社(山崎闇齋)が併せて祀られている。神職の出雲路信直が山崎闇齋の門弟であったことにちなむ。
猿田彦社の右に稲荷社がある。
このほか,宗像社(田心姫命,湍津姫命,市杵島姫命)と天満宮社(北野大神)がある。

当社は,『延喜式』(神名帳)の「出雲井於神社(いつものゐのへのじんじや)」の候補である。(賀茂御祖神社境内の比良木社,同じく御手洗神社,また上御霊神社も出雲井於神社の候補である。)

(京都府京都市中京区下御霊前町)
2017.12.11
下御霊神社(公式サイト)


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