大分神社探訪

佐田神社(宇佐市安心院町佐田〈あじむまちさだ〉)

安心院町佐田の佐田神社鳥居
佐田神社は,安心院町の佐田地区に鎮座する。環状列石(→佐田京石)が点在することで知られる米神山の南のやや開けた場所である。
かつて「善神王宮」と称し,佐田地区の総鎮守である。善神王(ぜじんのう,ぜんじょう)は武内宿禰(景行・成務・仲哀・神功皇后・応神・仁徳に使えた忠臣)の別称である。
創立の経緯は不明だが,大友能直(おおともよしなお,豊後筑後守護と鎮西奉行に任じられた大友氏の祖)が再興したという伝承がある。
明治になって郷社に列した。
現在の祭神は,武内宿禰,素盞嗚尊,大山祇命の三柱である。
大正元年(1912)に村内の中村地区にあった天満宮,貴船宮,宇都宮大明神,祇園社を合併した。
安心院町佐田の佐田神社社殿佐田神社拝殿の内部
拝殿内には由緒や絵馬が並んでいる。
佐田神社本殿佐田神社本殿細部
本殿は元治元年(1864)の建造である。本殿の正面には今も「善神王宮」の額が掛かっている。

佐田神社社境内佐田神社社境内
境内には石造物が多い。梵字を刻した元弘三年(1333)の角塔婆と正慶元年(1332)の板碑が大分県の有形文化財に指定されている。
佐田神社社号標
本殿の横に,亀の台座に「郷社佐田神社」と彫られた社号標が建っている。

幕末,当社の境内で大砲が鋳造されたことが知られている。嘉永六年(1853)ペリーの来航をうけて反射炉の建設に着手し,二年後(安政二年)に大砲の鋳造が始まったという。
建設の中心となったのはこの地の旧家の賀来惟熊(かくこれたけ)で,賀来一族は豊後日出藩の碩学・帆足萬里(ほあしばんり)の門下で漢学,洋学を修めていた。小石川植物園取調掛となった角来飛霞(かくひか,1816-1894)も一族である。
本殿の周囲に残るレンガの塀は反射炉の遺物である。

(大分県宇佐市安心院町佐田)
2009年2月28日


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