大分神社探訪

妻垣神社(宇佐市安心院町妻垣〈あじむまちつまがけ〉)

妻垣神社一の鳥居
妻垣神社(つまがきじんじゃ)は,安心院町の妻垣地区に鎮座する古社である。
社頭は南東の共鑰山(ともかきやま)を向く。
当社を『日本書紀』(巻三)の「一柱騰宮(アシヒトツアガリノミヤ)(『古事記』では「足一騰宮」と表記)とする伝承がある。
記紀の記事には,日向から大和を目指して東征する神武天皇がこの地に至ったおり,一帯を治める菟狭津彦(ウサツヒコ)と菟狭津媛(ウサツヒメ)が「一柱騰宮」を造って天皇を饗応したとある。「一柱騰」とは建物の形容だと思われるが,形状については諸説ある。
またこの時,神武天皇は共鑰山に,母である玉依媛命(比咩大神)の霊を祀る廟を造営し,侍臣の天種子命に廟の守護を命じて東征の途についたという。(今,共鑰山に磐座があり妻垣神社奥宮巨石として祭られている。)
その後,天平神護元年(765)に宇佐神宮に八幡大神の神託があり,曰く「我はすでに共鑰山にくだっているので,かの地に社殿を造営せよ」と。よってここに玉依媛命(比咩大神)と応神天皇(八幡大神)を奉祀した。さらに天長年間(824-834)には,神功皇后を宇佐神宮から勧請した。よって現在の祭神は,比咩大神(玉依媛命),応神天皇,神功皇后の三柱である。(なお宇佐神宮の「比咩大神」を,田心媛,湍津媛,市杵嶋媛の「宗像三女神」とする見解もある。)
このように当社は八幡信仰の総本社宇佐神宮とかかわりが深い。かつて宇佐神宮の神輿が数年ごとに巡行する神社を「宇佐神宮行幸会八社」と称したが,当社はその一社である。
明治十二年(1879)に「県社」に列せられた。

妻垣神社神門妻垣神社西門
かなり長い参道を進むと社殿前に門が建っている。南西側にも門がある。
妻垣神社社殿妻垣神社本殿
横長の拝殿と流れ造りの本殿が並んでいる。
妻垣神社境内
大正二年(1913)には,林正木氏が境内に神職教員を養成する騰宮学館(とうぐうがっかん)を創立し,小学校教員養成科と神職養成科が設けられた。当時,神職を養成する機関は,本校のほかには神宮皇學館(三重)と國學院(東京)しかなかく,騰宮学館には,満州を含む全国から学徒が集まったという。
戦後は騰宮女子専門学校として運営されたが,昭和三十八年(1963)に閉校した。
社殿の西側に広大な空き地があるが,騰宮学館の跡であろう。また奥の樹林の中には戦没者を慰霊する祠が建っている。
妻垣神社二の鳥居妻垣神社二の鳥居
二の鳥居は慶安二年(1649)建造で町指定の文化財であったが,2001年に台風で倒壊したため再建されたもの。もとの鳥居の一部が残っている。

社殿の正面に標高241メートルの妻垣山(ともかきやま,「共鑰山」とも)という小山がある。山頂直下に当社の奥宮とされる磐座(妻垣神社奥宮巨石)がある。

(大分県宇佐市安心院町妻垣字大門203)
2009年2月28日

妻垣神社(公式サイト)


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