大分市神社探訪

松坂神社(大分市上野丘〈うえのがおか〉)

松坂神社参道入口
松坂神社は,上野丘高校のグラウンドに隣接する古社である。境内に立つ「松坂神社由緒略記」は,当社が欽明天皇の時代(539?〜571?)の創建で,柞原八幡宮以前から祀られていたとする。
もと「松坂八幡宮」と称し,足仲彦命,息長帯姫命,品陀別命,武内宿禰命を祭る。
応安元年(1368)に大友親世が霊夢によって詣でた(雉城雑誌)とも伝える。

当社は大友氏代々の崇敬を受け栄えたが,天正十四年(1586)島津氏の侵攻で焼け,文禄五年(1596)の大地震で大破した。
寛永十四年(1637),府内城城主の日根野吉明が近くの弥栄神社を訪れたおり,宮の東に三株の松があるのを見,ある人にその由来を尋ねた。
答えていう。

ここは松坂八幡宮といい、柞原八幡宮以前の垂跡である。しかし天正の乱で空しく原野となった。
律院(今の上野丘二丁目あたり)の村人がその地を田地となしたところ、神罰にや、たちまち悪疾禍災が起こった。そこで恐れてこの松を植えたのである。

この地に由緒ある古社の鎮座したことを知った日根野吉明は,松数百本を植え遷座式をおこない,この社を再興した。

松坂神社社殿正面松坂神社拝殿細部
松坂神社本殿

松坂神社境内社松坂神社狛犬
境内社として,生目社と天満社が建っている。生目社は,宮崎の生目八幡宮を分霊したもので,平景清公を祭神とする。
景清は源氏の追討からのがれるために右眼を八幡宮に納めて祈願し,捕縛されて左眼も抜いて源氏に仕えることを拒んだと伝えられる。よって,眼病に利益があるとして信仰を集めている。(上野丘西の天満宮の境内や生石港の笠縫島などにも生目神社が祀られている。)

征露紀念(2000年4月2日撮影)
かつて,こま犬の台座に「征露紀念」の文字が刻されていたが,今は見当たらない。

(大分県大分市上野丘2丁目,JR大分駅から徒歩25分)
2000.4.2, 2006.12.19


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