おおいた百景

蒋山萬壽寺(大分市金池町〈かないけまち〉)

萬壽寺門前
萬壽寺は臨済宗(妙心寺派)の古刹である。萬壽興聖禅寺とも称し,山号は「蔣山」(まこもさん)である。
起源は平安時代にさかのぼり,この地の有力者が娘の菩提のために創建したと伝え,今の元町(現在地の南方,約1キロメートル)にあったが,しだいに衰微した。
鎌倉時代,守護職を勤める大友貞親(五代当主)は,鎌倉で北条貞時(執権)から「寺を建てて僧を養ったことがあるか」と問われ,おそれて「小寺に百人の僧を置いている」と答えた。帰国後,徳治元年(1306),府内に萬壽寺を建て,博多承天寺の智侃を招いて開山とした。
東九州の臨済宗の中心となり六十余寺を分出した。
萬壽寺山門萬壽寺山門

瀧廉太郎の墓
萬壽寺の境内に,かつて滝廉太郎(1879-1903,「日本のシューベルト」とも呼ばれる夭折の作曲家)の墓があった。
瀧家の菩提寺は速見郡日出町の龍泉寺であったが,廉太郎の父,吉弘が萬壽寺住職の足利紫山と親交があった縁で,住居にほど近いここ萬壽寺に葬られた。
瀧累世之墓の横の碑は,1904年(没年の翌年)に廉太郎の音楽学校の同窓生,田村虎藏らが建てたもの。碑文は以下のとおり。

嗚呼天才之音楽家
瀧廉太郎君碑
東京音楽学校同窓会有志者建之

→参考:瀧廉太郎名曲選

平成23年(2011),廉太郎の墓は日出町の龍泉寺に移された。

(大分市金池町5)
1998年8月7日, 2016年7月14日


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