おおいた百景

古宮古墳(大分市三芳〈みよし〉)

古宮古墳見おろし
古宮古墳横から古宮古墳内部
大分市椎迫(しいざこ)の丘陵,西の台小学校の東にある七世紀中期から後期の石棺式石室の古墳。
この時期の畿内型古墳としては九州唯一のもの。1979年,団地造成工事のさい発見され,1981年に大分市教育委員会が調査した。

わが国では,七世紀になるとしだいに古墳は造られなくなり,大和政権に近い畿内周辺の限られた地域で,しかもごく限られた階層の人々の間だけで造られていた。古宮古墳は,そのような時期に,しかも中央からはるか隔たった大分の地で造られた古墳であるため,被葬者に関するさまざまな推測を呼び起こす。
白雉二十三年(672),天智天皇没後に起きた内乱(壬申の乱)のさい,大海人皇子(のち内乱で勝利して即位した天武天皇)に加担して功をあげた人物に「大分君恵尺(えさか)」「大分君稚臣(わかみ)」の名が見える(日本書紀)。古宮古墳は,この二人のいずれかにかかわる墳墓の可能性もある。
なお,羽田の大分社には大分君稚臣が祀られている。

このあたりは眺望にも恵まれ,三芳(みよし)の浄水場に立てば高崎山を裏から見ることができる。

(大分市三芳〈みよし〉)
2007年3月27日


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