にいがた百景

招魂社に至るしょうこん坂(新潟市中央区旭町通〈あさひまちどおり〉)

しょうこん坂
坂の上には,かつて招魂社(護国神社の前身)があったため,そこに至る石段が「しょうこん坂」と呼ばれるようになった。招魂社は戊辰戦争で戦死した官軍兵士を祭る施設で,初めは「招魂塲」と呼ばれた。明治元年(1868)の創立である。明治八年(1875)に「招魂社」と改称した。
招魂社に至る石段は後に改修されて現在の形状となったが,登降の足運びのリズムからワルツ坂と呼ばれることがあったともいう。たしかにどっぺり坂に比べて傾斜はかなりゆるい。
しょうこん坂の石標
かつて坂の上には新潟師範学校もあり,どっぺり坂と同じく,学生達がそれぞれの思いを胸にこの坂を登りくだりしたのであろう。
登りつめたところに,新潟大学が一般市民に学術資料を無料公開するあさひまち展示館(新潟大学旭町学術資料展示館)がある。

戊辰戦争戦死者遺骨発掘地新潟招魂社の階段跡
しょうこん坂の上に,大学の駐車場として使われている雑然とした一画があり,その奥には機能していない古い石段がある。石段の上が招魂社の跡地である。

昭和六十年(1985)に,この一帯から幕府軍(奥羽列藩同盟軍)の戦死者と思われる遺骨が大量に発見された。遺骨は護国神社境内の戊辰戦争殉難者墓苑に埋葬され,新政府軍の戦死者とともに慰霊されている。
周辺にはまだ幕府軍側兵士の遺骨が多く埋まっているはずだが,住宅地となっているため発掘調査はおこなわれていない。
また明治三年(1870)の地図には,この近くに「ヤキバ」の記載がある。一時的に火葬場も設けられていたようである。

(新潟市中央区旭町通二番町,JR新潟駅から徒歩35分)
2002.10.31, 2006.8.27, 2007.7.13, 2015.11.13


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