柳都(りゅうと)とは新潟市の別称である。
縦横にめぐる堀と柳の並木....
かつて信濃川と阿賀野川は洪水を繰り返していた。十七世紀のはじめ,二つの大河は合流し,河口が深くなった。そのおかげで,新潟市は海運の適地となった。
その後,市内の物流の多くを水運が担うことになり,新潟の街は繁栄を極めた。
信濃川に並行して東堀(ひがしぼり),西堀(にしぼり)が開削さた。その後も堀の開削は続き,明治期には三十をこえる堀と百以上の橋が整備されていた。
こうして堀と堀端の柳が,新潟を象徴する風景となったのである。
川々の 橋々 柳々かな
(巖谷小波)
時は流れ,この美しい風景の主役は,しだいに交通渋滞の元凶とみなされるようになった。堀はつぎつぎに埋め立てられ,自動車用の道路に変わっていった。
昭和三十九年(1964),ついにすべての堀が消えた。
旧税関庁舎わきに復元された早川堀で,往事を偲ぶことにしよう。夢のような風景である。
(→NPO法人「堀割再生まちづくり」による写真の盗用)
堀の復元事業はさらに続き,2014年には西の本町通に至る「早川堀通」の堀が整備された。
(新潟市中央区緑町,JR 新潟駅から徒歩30分)
2005.3.5, 2007.7.8, 2012.1.28, 2013.8.10, 2014.7.8