かつてここを東西に流れていた掘割は新堀(しんぼり)と呼ばれていたが,明治の初めに「三番堀」と改称された。
しかし数字を用いた上意下達の無味乾燥な名称が普及するはずもなく,1953年(昭和28年)に埋められてからは「新堀通」という旧名称に復した。
新堀は,七番町と八番町を分けて西堀から東に伸び,待宵橋,千歳橋,蓬莱橋,万代橋(信濃川の万代橋とは別の橋),幸橋,厩橋と経て他門川に合流していた。
写真(左)の道路が突き当たったあたりが旧他門川と新堀の合流点である。
→関連情報:一番堀,四番堀(広小路堀),早川堀
(新潟市中央区上大川通八番町:JR 新潟駅から徒歩15分)
2002.10.17, 2007.7.8