にいがた百景2

城の山古墳(胎内市大塚〈おおつか〉)

城の山古墳全景
城の山古墳(じょうのやまこふん)は,JR(羽越本線)中条駅の西南西1.8キロメートルにある。
平坦な水田地帯の中の小山で,地元では「大塚山」あるいは「一籠山(ひとかごやま)」などとも呼ばれ,遠目にも古墳であることがわかる。
1997年から数次の調査がおこなわれた。四世紀前半の墳墓で,この時期の古墳としては日本海側で確認された最北に位置する。
巨大な舟形木棺のほか,盤龍鏡,勾玉,管玉,なども確認された。副葬品の構成は近畿地方の古墳に似ており,被葬者と大和政権の強い結びつきをうかがわせるという。
革を用いた靫(ゆき)も出土し,注目されている。
2014年10月の調査で南側(写真の手前)に周濠(しゅうごう)の痕跡と思われる段差が確認され,前方後円墳の可能性が浮上した。
(2015年8月の調査で,「周濠」と思われた部分が後代の遺構であることが明らとなり,「前方後円墳」の可能性は否定された。)
副葬品が機内の古墳のそれと類似し,被葬者が朝廷とつながりの深い人物であると考えられる。

従来,大和朝廷の北方への勢力拡大は,阿賀野川以北の地域(日本海側)は経由せず,阿賀野川を遡上して会津盆地を経て内陸を進んだと考えられていた。
阿賀野川の河口から25キロメートルほど離れているこの場所に大きな墳墓の存在が確認されたことは,大和朝廷の北方経営の実態の解明に新たな視点を提供することが期待されている。

城の山古墳上部
丘の上には「稲荷大明神」の石塔などが祀られている。

(新潟県胎内市大塚)
2014.7.12


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