にいがた百景

竹内式部の墓(新潟市中央区二葉町〈ふたばちょう〉)

竹内式部墓遠景
竹内式部(たけのうち しきぶ,1712-1767)の墓は日和山墓地の西,ワークセンター日和山の隣にある。
竹内式部は,墓所の南東800メートルの本町通九番町で生まれた。(→竹内式部出生地
竹内式部墓近影
流罪となって三宅島で没した式部は,明治二十四年(1901)「忠臣」として名誉回復し,「正四位」を贈られた。
昭和五年(1930)7月,新潟市長を代表とする25人が三宅島に渡り,伊ヶ谷村(現:東京都三宅村伊ヶ谷)大林寺の墓地を訪れて竹内式部を弔慰した。
同七年(1932),市長代行が三宅島を再訪して遺骨の分与をうけ,新潟に帰った。
ついで寄附金と合わせて2.300円の支出を市会で決議し,この地に墓を造って9月17日に納骨した。
墓石の刻字に「贈正四位竹内式部先生之墓」とある。
墓前には竹内式部を偲ぶ会による略歴を記した看板が立っている。

竹内式部(1712〜'67)
當地の医家に生まる。青年の日上洛して徳大寺家に仕え、儒学、神道を修め、後 家塾を開く。説くところ、神道に基づく尊王思想なり。少壯の公卿多く師事して、その感化により、朝廷の権威回復を志し、為に宝暦九年(1759)京都を追わる。宝暦事件と云い、尊王論者処罪の最初の事件とす。後、友人藤井右門、明和事件(明和三年 1776)を起すや、累、式部に及び、翌四年 八丈島へ流罪の途中十二月五日、寄港地三宅島にて病歿す。

遺蹟
碑 白山公園
生地跡 本町九
祠堂 本覚寺
銅像 二葉公園
碑 入舟地蔵尊

竹内式部を偲ぶ会

(文中「明和三年 1776」は,「明和三年 1766」の誤り)

西船見町の西海岸公園(通称「二葉公園」)には竹内式部像が,白山公園に竹内式部碑がある。

(新潟市中央区二葉町3丁目)
2011.9.24


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