新潟県神社探訪

巣門神社(長岡市東中野俣〈ひがしなかのまた〉)

長岡市東中野俣の守門神社鳥居
巣守神社(守門神社)は,旧栃尾市街の南方約10キロメートル,東中野俣の新山地区に鎮座する。
「神社明細帳」(明治十六年)に「古志郡東中野俣村字新山 無格社・巣守社」とある。
明細帳は「巣守社」とするが,現在の鳥居の額束には「守門神社」とある。
東中野俣の産土神で,高皇産霊尊を祭神とするが,創立年月は不詳である。
大正十四年(1925),字池ノ又の十二社(大山祇命)を合併した。
江戸時代の検地帳などによると東中野俣には「すもん田」「すわの宮」「白山」「山の神沢」「わか宮」など多くの信仰にかかわる地名が見える。
「明細帳」は当社のほかに「東中野俣村字繁窪 無格社・少彦名神社」(祭神は少彦名命)を記録するが,今は見当たらない。当社に合併されたと思われる。
東中野俣の守門神社社殿正面中野俣の守門神社扁額
拝殿内に「守門社」の額が掛かっている。
中野俣守門神社拝殿彫刻(向拝柱)中野俣守門神社拝殿彫刻(欄間)中野俣守門神社拝殿彫刻(向拝柱)
向拝柱の獅子や欄間の彫刻は力強く美しい。

中野俣守門神社天井絵中野俣守門神社天井絵(卯香女山水画)
拝殿には天井絵が奉納されている。中でも桃里亭卯香女(とうりてい・うこうめ/うこうじょ)という女流画家の作品が旧栃尾市の有形文化財に指定されている。
卯香女は文化十四年(1817)に福島県の飯坂で生まれ,本名は佐藤リサ。はじめ豪農に嫁いだが,絵を描くことが農家にふさわしくないとして離縁され,佐山長山と号する当地出身の徘徊師とともに越後に来たとされる。長山の没後は故郷に戻って創作を続け,明治二十九年(1896)に79歳で没した。
おもに花鳥画を描いたが,当社の天井絵に山水画が一点あるという。右の写真がそれであろうか。

(新潟県長岡市東中野俣3342)
2009.6.6


旧栃尾市南部(東谷,荷頃,入東谷,西谷,中野俣,半蔵金)神社