厳島神社は,JR(白新線)佐々木駅の北2キロメートル,弁天潟の東に鎮座する。
当社は,本来は神明社(天照大神)であり,その境内社として厳島神社(市杵島比売神)が祭られていた。
ところが神社明細帳(明治十六年)の欄外訂正(明治四十年)で,社号が「厳島神社」と書き改められ,神明社は「境内社」として扱われている。
鳥居をくぐって参道の正面奥に見えるのは神明神社で,厳島神社への参道は左に折れている。元来,厳島神社は境内社であったため,このような配置になっているのである。
流れ造り一間社の本殿は昭和九年(1934)の改築である。
拝殿と本殿が少し離れて建っている。
拝殿の彫刻の保存状態は良好である。
今は境内社となっている神明社。
参道に狛犬が二対。一つは摩滅がはなはだしい。
当社の資料には以下のような経緯が伝えられている。
新発田藩では弁天様が信仰されていたが,ある日「湖水の見える地に移りたい」と夢枕に立ったため,この地を選んで祭った。
享保十二年(1727)の加治川等の改修工事のさい,新発田藩主の溝口直治公が社殿を造営し,以後,産土として村民の崇敬を集めたとされる。市杵島比売神を祭神とする。
2008年の道路拡幅工事で,境内の一部が削られた。
(新潟県北蒲原郡聖籠町蓮野)
2008.3.23, 2012.5.5