三宮神社(さんぐうじんじゃ)は,旧畑野町の三宮に鎮座する。
「神社明細帳」(明治十六年)に「佐渡國雜太郡三宮村字深山 郷社・三宮神社」とある。
一帯は縄文期の貝塚であることから,古い祭祀にかかわる神聖な場所だったとも推測される。「式内社」とされる越敷神社(今,猿八に鎮座)は初めこの地に祀られていたという。
当社は,佐渡に流罪となった順徳天皇の皇子の千歳宮成嶋親王(1237-1254)を祭る神社だと伝えられている。
ここから南西に300メートルの場所には順徳天皇皇子墓がある。
伝承では,順徳天皇は佐渡で二皇女(慶子宮,忠子宮)と一皇子(千歳宮)をもうけたので,皇子を祭る当社が「三宮」と呼ばれるのだともいう。(慶子宮を祭るとされる一宮神社は,当社の東1.5キロメートルにある。)
旧三宮村および畉田村の一部の産土神である。
古くは「親王大明神」あるいは「三宮大明神」と称したが,維新後に現社号に改め,明治六年(1873)に郷社に列せられた。
鳥居前の肥満体型の石狛犬が目を引く。どういうわけか吽形は後ろを振り返っている。
本殿は神明造のようであるが,覆屋で保護されており,見えない。
拝殿の両脇に境内社が祭られている。深山神社と北野神社である。
深山神社の祭神は右衛門佐局(順徳天皇の官女で千歳宮の母)で,甲斐右兵衛佐範経と藤左衛門太夫康光を配祀する。
異形の狛犬が一体ずつ控えている。木造だろうか。
(新潟県佐渡市三宮)
2008.3.3