にいがた百景2

順徳天皇皇子墓(佐渡市三宮〈さんぐう〉)

順徳天皇皇子墓
順徳天皇皇子墓は,旧畑野町の三宮にある。
佐渡に流布する順徳天皇にまつわる伝承では,承久の変の首謀者として佐渡配流となった順徳天皇(配流の時には既に譲位して上皇であった)は,この地で二女・一男をもうけたとされる。そのうちの千歳宮とよばれる皇子の墓所とされているのがここである。
(第一皇女・慶子宮の墓は東方1.5キロメートルにある。→順徳天皇皇女墓
千歳宮は,右衛門佐局を母として嘉禎三年(1237)に生まれ,建長六年(1254)に十八歳で薨じたという。皇子を祭神とする神社が,北東300メートルに鎮座する三宮神社である。
墓所入り口に建つ石標に「順徳院天皇々子三宮御墓所」「佐渡國雜太郡三宮村」とある。
順徳天皇皇子墓順徳天皇皇子墓の石祠
菊紋のついた鉄扉の中に鳥居があり,石祠が建っている。
扉は錆びており,墓所全体も慶子宮の墓に比べて荒廃がはなはだしい。

順徳天皇皇子墓からの眺望
墓所からの眺望はいい。

(新潟県佐渡市三宮)
2008.3.3


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