諸国神社めぐり

住吉信仰・住吉神社

住吉大社第二本宮と第三本宮

全国に二千社あまりあるとされる住吉神社は,住吉三神を主祭神とする。住吉三神とは,底筒男命(ソコツツノヲ),中筒男命(ナカツツノヲ),表筒男命(ウハツツノヲ)である
この神は航海安全の神として港湾関係者や漁業従事者に特に信仰されている。

伊弉諾尊(イザナギ)が,死んだ妻(イザナミ)を訪ねて黄泉の国に行き,戻ってから海に入って死者の国の穢れを清めたが,そこで生まれ出た神が住吉の三神である。みそぎの場所は『古事記』には「竺紫日向之橘小門之阿波岐原(筑紫の日向の橘の小門のアハキ原)」とあり,これは筑前の住吉神社の鎮座地(福岡市博多区住吉)だとされている。

住吉神がめざましい活躍を見せるのは,神功皇后(第十四代仲哀天皇の皇后)の時である。
『古事記』は以下のように伝える。

仲哀天皇の時、筑紫において息長帯日売(オキナガタラシヒメ,神功皇后)が神懸かりして神の言葉を伝えた。「西方に宝物豊かな国があるので授けよう」と。仲哀天皇はこの神託を疑ったため急死した(崩御の地は香椎宮古宮趾とされる)。
のちに再び皇后が神懸かりとなり、全く同じ神託が下った。重臣の建内宿禰(タケウチスクネ,武内宿禰)が神の名を尋ねたところ「底筒男、中筒男、上筒男の三柱の大神である」と名乗り、さらに新羅侵攻の方策についての助言も下った。
神功皇后は神の言葉に従って船団を仕立てて朝鮮に向かって進軍した。魚群が船を背に乗せて運び、順風が大いに起こり、大津波となって新羅に押し寄せた。新羅王は恐れて震えあがり、馬飼となることを誓って服属した。さらに百済国には食糧倉庫を設置した。

凱旋帰国した神功皇后が戦勝を感謝して創建したとされるのが摂津の住吉大社(大阪市住吉区住吉)である。その後,住吉神の神託によって神功皇后自身も住吉大社に合祀された(第四本宮に皇后が祭られている)。
山口県下関市にも古い住吉神社が鎮座し,筑前,摂津と合わせて「三大住吉」と称される。三社は,いずれも瀬戸内海の航海ルート上にある。

ところで,神功皇后は新羅遠征のとき身ごもっていたが呪術を用いて出産を延ばしたとされる。帰国後に生まれたのが誉田別尊(ホムタワケ),すなわち後の応神天皇である。応神天皇は後に八幡信仰の中核となる重要な神である。(→八幡信仰とは?)

新潟市の住吉神社(一部)〈新潟市神社総覧より〉

新潟県の住吉神社(一部)〈新潟県神社探訪より〉


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