旦飯野神社(あさいいのじんじゃ)は,旧笹神村の宮下地区に鎮座する。
「神社明細帳」(明治十六年)に「北蒲原郡宮ノ下村字道上 村社・旦飯野神社」とある。
創立年は不明だが,長野麻呂(宮司の鈴木家の祖)が誉田別尊を祭ったのが起源だとされている。かつては「山浦八幡宮」と呼ばれていた。
「明細帳」は由緒を「不詳」としたうえで創立にかかわる伝承をいくつか載せるが,いずれも要領をえない。
「明細帳」が記す祭神は,主祭神が誉田別尊で,豊受姫命を配祀。さらに天照皇大神と天児屋根命を合殿で祭るとする。
明治四年(1871),第二十四区の郷社となったが,同六年,村社に改められた。
当社は『延喜式』所載の旦飯野神社(蒲原郡十三座の一)の論社であるが,新潟市朝日の旦飯野神社も式内・旦飯野神社の候補である。
現在の阿賀野市の一帯は古代には沼垂郡に属し,後に蒲原郡に編入された(その時期は不明)。
随神門は日露戦争戦勝を記念して明治四十二年(1909)に建てられたもの。門をくぐると石段が境内まで続く。
拝殿の背後に流造りの美しい本殿が建っている。寛政四年(1792)の建造である。
当社には不思議な伝承がある。夜,天空に火球が出現して神社が輝き,やがて境内のどこかに火球が下るという。
本殿の裏手の不思議な「御神霊石」は,この伝承にちなんだ巨石である。当社の東方の五頭山中からもたらされた自然石で,昭和五十七年(1982)に寄進された。
このほかにも参道入口(常盤石)や修祓所など,境内各所に石が祭られているのが珍しい。
社殿の脇に境内社がいくつか建っている。「明細帳」は境内社三社とし,風神社(志那都比古命,志那都比売命),香椎神社(息長足姫尊),大三輪社(大物主命,少彦名命)である。
なお,『越後国式内神社案内』は「摂社・母衣尾明神,風神」とするが,「母衣尾明神」とは当社の北2キロメートルに鎮座する母衣王神社であろうか。
境内に不思議な小さな石鳥居がある。しいたけを参拝者に提供するために使われている。
改築前の拝殿正面(2006年)。右下に小さな鳥居が見える。
(新潟県阿賀野市宮下195)
2006.5.27, 2015.5.24