新潟県神社探訪

大膳神社(佐渡市竹田〈たけだ〉)

大膳神社参道入り口
大膳神社(おおぜんじんじゃ,だいぜんじんじゃ)は,旧真野町の竹田に鎮座する。 「神社明細帳」(明治十六年)に「佐渡國雜太郡武田村字大膳林 村社 大膳神社」とある。
当社は『延喜式』所載の「御食神社(みけじんじゃ)」(雑太郡五座の一)だとされている。
延喜五年(905)の創立とも伝えるが,詳細は不明。かつて「大善大明神」と称したが明治維新後に現社号に改めた。
主祭神は御食津神とされる。御食津神は宮中大膳職の三祭神(御食津神社,火雷神社,高倍神社)のひとつである。なぜこの神がこの地に祭られたのかはよくわからない。
御食神社は衰微して消滅し,修験道の大宗院が入ったという。修験の大善坊(大膳坊)の名と御食津神にかかわる大膳職が音通で結びついて大膳大明神と称すようになったとも思われる。
現在,正殿には本来の祭神である御食津神が祭られ,左殿に日野資朝朝臣,右殿に僧賢栄(阿闍梨大膳坊)を合わせて祭っている(日野資朝と賢栄にまつわる伝説は後述)。
また明治四十年(1907),字中沢太の稲荷神社(倉稲魂命)を合併した。
大膳神社参道から社殿
杉並木の向こうに大きな拝殿が見える。

大膳神社拝殿正面大膳神社拝殿内部
拝殿内の額のあたりに見えるのは古い弓であろうか。
大膳神社本殿
本殿は覆屋の中である。
大膳神社境内社
境内に小さな社殿がある。「明細帳」は,境内社として稲荷神社天満宮合殿(保食命,菅原道真朝臣)を記録しているが,あるいはこれであろうか。

大膳神社境内の能舞台
境内の能舞台は弘化三年(1846)の建造で,新潟県の有形民俗文化財である。毎年四月に能が奉納される。

大膳坊賢栄の伝説:
後醍醐天皇に仕え,謀反の罪で佐渡に配流となった日野資朝の一子阿新丸(くまわかまる)は,僧賢栄(大膳坊と称す)の手引きで佐渡に来た。
阿新丸は父との面会を雑太城主の本間山城守に乞うたが,山城守は鎌倉を憚ってこれを許さず,ついに資朝を死罪に処した。阿新丸は,大膳坊の援護を得て城主の弟を斬り,無念を晴らした。城主は激怒し,阿新丸を助けた大膳坊を誅して首をさらした。
こののち数々の怪異があったため,大膳坊の怨霊を鎮めるために神社を建てて大膳坊を祭った。

(新潟県佐渡市竹田561)
2006.3.12


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