新潟県神社探訪

弥彦神社(弥彦村弥彦〈やひこ〉)

弥彦神社一の鳥居
弥彦神社(彌彦神社)は,JR(弥彦線)弥彦駅の北西900メートル,弥彦山の東麓に鎮座する。
「延喜式」(神名帳)所載の「伊夜比古神社」(蒲原郡十三座のひとつで,越後国唯一の「明神大社」)である。
訓は「いやひこじんじゃ」が正しいが,明治以降「弥彦」の表記が一般的となり,漢字表記の影響で「ヤヒコ」と呼ばれるようになった。
現在の祭神は天香語山命(アメノカゴヤマノミコト,アメノカグヤマノミコト;天香山,天香久山とも)である。
天香語山命の名は『古事記』『日本書紀』には見えず,『先代旧事本紀』に饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)の子として登場する。
原注に,別名手栗彦命(タグリヒコ)または高倉下命(タカクラジ)とある。高倉下は「記紀」に登場する。熊野で難渋する神武天皇に神剣を献上して行軍を助けたとされる。
神武天皇の建国後,高倉下は天皇の命を奉じ,越後に来て開拓を進め産業を興したと伝えられる。大和朝廷の文化と支配が越後に及んだことを示すものであろう。
天香山命は野積海岸から上陸し(旧跡として大宮神社がある),しばらく桜井に留まって(旧跡として桜井神社がある)住民に産業技術を教えたという。
妃神(熟穂屋姫命)を祭る妻戸神社が弥彦山の西麓にある。

当社の成立は,弥彦山の神霊(イヤヒコ神)への古い信仰を淵源とすると思われる。蒲原平野から遠く眺める弥彦山の姿は秀逸である。『万葉集』にも,この山自体の神威が詠われている。
奈良時代になって,イヤヒコ神が阿弥陀如来の垂迹とされ,これを契機に信仰が拡大した。
室町時代になると,当社の祭神を天香山命だとする説が現れ(『大日本国一宮記』),この見解が現在まで継承されている。

弥彦神社神橋
鳥居をくぐってすぐ,参道の左に,御手洗川に架かる神橋(玉の橋)が見える。明治二十九年(1896)に改築され,弥彦大火(後述)を免れた唯一の遺構である。
境内改修のたびに移転したが,昭和六十年(1985)に現在地に定まった。
弥彦神社隨神門(冬)弥彦神社隨神門(夏)
さらに参道を進むと,隨神門とその先の社殿が見えてくる。

弥彦神社狛犬
隨神門を守る狛犬は洋犬のようなスタイルで,昭和十年代に特に流行した「護国系」とも呼ばれる様式である。
弥彦神社の狛犬は,靖国神社の改修にたずさわった伊東忠太のデザインで,大正五年(1916)に奉納された。

弥彦神社拝殿正面(冬)
隨神門をくぐると,弥彦山を背にした壮麗な拝殿が目に入る。(弥彦山の山頂には弥彦神社御神廟がある。)
初め,社殿は現在の鳥居近くにあったが,明治四十五年(1912)三月,近隣民家の火災に類焼し,本殿ほか多くを失った。
大正五年(1916)十月に新社殿が竣工した。(旧本殿の礎石が旧本殿址として保存されている。)
弥彦神社本殿弥彦神社拝殿(秋)
拝殿はもちろん,本殿もさすがに大きい。
参拝の作法は通例とは異なり,豊前の宇佐神宮(大分県宇佐市)と同じ「二拝四拍手一拝」とされている。

隨神門手前の右には,摂社(武呉神社草薙神社今山神社勝神社乙子神社)と末社(二十二所神社八所神社十柱神社)がまとめられた区画がある。
天香語山命の後嗣の神々などを祭る重要な場所である。
弥彦神社境内社

境内社のほか,社域の周囲には,二座の諏訪神社(上諏訪神社下諏訪神社),住吉神社火宮神社,古峯神社,祓戸神社湯神社,さらに祭神の御廟などが点在し,一帯が神霊の気に包まれている。
背後の弥彦山の山頂には弥彦神社御神廟が祭られている。

弥彦神社舞殿
境内社の横に舞殿がある。

(新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦,JR弥彦線・弥彦駅下車徒歩10分)
2004.11.8,2005.5.21, 2007.3.3, 2010.1.10, 2011.4.16


弥彦村神社