旧下田村北五百川地区に鎮座する八木神社は「延喜式」所載の「伊加良志神社」の論社である。(北西約7キロメートル飯田地区に鎮座する五十嵐神社を「伊加良志神社」とする説もある。)
「神社明細帳」(明治十六年)に「南蒲原郡北五百川村字宮地 村社・八木神社」とある。
創立年は不詳である。祭神は,守門大明神すなわち豊磐間戸命(トヨイハマド)と櫛磐間戸命(クシイハマド)の二柱と八木大明神(倉稲魂命),さらに新田義貞とその三子の義顕・義興・義宗である。
伝承では,守門大明神の二柱は大同二年(807)の勧請という。
以上の旧来の祭神のほか,ダム建設などで廃村となった地域から遷された大山祇命,高龗命,誉多別命,天照皇太神が合祀されている。
(→大谷神社之址,大江神明社の跡)
鳥居から社殿まで,杉並木の参道がまっすぐに伸びている。
社殿の背後に,景勝地として有名な八木ケ鼻の大岩壁が屹立している。当社はかつて八木ケ鼻の頂上に祀られていたという伝承がある。
いずれにしても八木ケ鼻の奇観に由来する太古の信仰を起源とする神社だと思われる。
拝殿は明和五年(1768)の建立で,回廊部分は昭和十五年(1940)に増築された。
拝殿の額に「八木・守門 大明神」と二つの神名が並記されている。
本殿は覆屋の中にあって見ることができないが,万治元年(1658)の建立で,中世の様式を伝えるという。
「明細帳」は境内社として火神社(軻遇津知命)と子安神社(木花開耶姫命)の二社を記録している。
火神社は不動堂に祀られている。かつて八木ケ鼻の麓に鎮座し,文化十年(1813)に現在地に遷座した。
破損が進んだため古い部材を活用して平成二十五年(2013)に改築された。
子安神社には「神明子安社」という額が掛かっている。
鳥居の横に建っている社号標の字は諸橋轍次(1883-1982)による。
(当社の西1.5キロの長禅寺に諸橋轍次博士の墓所がある。)
(新潟県三条市北五百川)
2004.11.7, 2013.11.17, 2020.5.23