新潟市神社探訪

住吉殿(新潟市中央区一番堀通町〈いちばんぼりどおりちょう〉)

白山神社境内の住吉殿
白山神社の境内に「新潟湊鎮護 住吉神社」の社号標が建っている。
住吉神社の源流は,明治まで続いた湊元神社(つもとじんじゃ)にさかのぼる。
かつてここから2キロメートルほど北の寄附町(きふちょう)に湊元神社が鎮座した。伝承によると延宝八年(1680)に回船問屋(網干屋)の広嶋治平衛が住吉神(底筒男命,中筒男命,表筒男命,息長足姫尊)を日和山南西の砂丘に祭ったのが起源とされる。
元禄四年(1691)に風雨で社殿が流出したため,あらためて中洲崎町(本町通の北端)の網干屋邸内に湊元神社を再建した。
かつては湊元神社の夏の祭り(湊祭・住吉祭)が盛大におこなわれ,洲崎町一帯の住民はもとより,ここ白山神社の場所までの二十二区画でそれぞれが山車を作って祝ったという。
しかし後に種々の事情で衰微し,明治二十一年(1888)に寄附町から入船町通四丁目に移転し,ついで白山神社境内に遷され,末社として白山神社の管轄下に置かれることになった。
そのため洲崎町の住民と白山神社の間に住吉神社の帰属をめぐる訴訟沙汰なども起きたらしいが,結局,明治四十二年(1909)に正式に白山神社に合祀され,氏子が主宰した祭礼(湊祭・住吉祭)も白山神社側が担当することになった。(現在,湊元神社の祭りは「新潟まつり」の一環として続いている。→住吉行列
上記の湊元神社とは別に,白山神社の境内にも住吉大社を勧請した住吉神社があった。延享五年(1748)に境内に住吉神社が建立されたという。
明治六年(1873),白山公園造成のためこの住吉神社は廃止されて白山神社に合祀となったが,大正二年(1913)に社殿が再建された。
これが現在の住吉殿である。
新潟まつりの神輿を納める住吉殿
白山神社境内の,西堀通りが突き当たった所に「住吉殿」と称する建物がある。祭神(住吉大神)はすでに白山神社に合祀されているので,この建物は「神社」ではないが,かつて中洲崎町に鎮座した湊元神社と白山神社境内にあった住吉神社を偲ぶものとなっている。
住吉行列の神輿住吉行列の神輿(2012年新潟まつり)
「新潟まつり」の住吉行列で使われる神輿が納められている。
現在,この湊元神社由来の住吉神社とは別に,東堀通十三番町に住吉神社がある。

左手には昭忠碑があり,神武天皇像が建てられている。

(新潟市中央区一番堀通町・白山神社境内,JR 白山駅から徒歩10分)
2007.11.9, 2011.8.12, 2012.8.4, 2015.2.21


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