新潟県神社探訪

多岐神社(柏崎市西山町別山〈にしやまちょうべつやま〉)

西山町別山の多岐神社参道入り口
別山の多岐神社は,JR(越後線)石地駅と小木ノ城駅の中間,国道116号線(西山バイパス)の脇に鎮座する。
「神社明細帳」(明治十六年)に「刈羽郡別山村字多岐ノ脇 無格社・多岐神社」とある。
当社は「延喜式」の「三嶋郡六座」のひとつ「多多神社(一本は「多岐神社」に作る)」とされる。
ただし式内「多多(多岐)神社」には論社がある(もうひとつは柏崎市曽地の多多神社)。
伝承によると,永承六年(1051),源頼義が安倍頼時を討伐する(前九年の役)さい,この地で祈願し,社殿を造営したという。
源氏との関係を示唆する類似の伝承は,北方約1キロメートルの出雲崎町船橋の三島神社にもある。
また弘安四年(1281),中国朝鮮侵略軍(元寇)の撃退を勅命によって祈願したという。
祭神は高龗神で,合殿で伊弉諾尊,大山祇命,大國主命,健御名方命,品陀和氣尊を祀っている。
明治二年(1869)に柏崎県の村社に指定されたが後に廃され,大正六年(1917)に新潟県によって再び村社となった。
明治四十年(1907),字笹山の天神社(天穂日命),字荒谷の十二社(大山祇命),字内越の金刀比羅社(大國主命),字尾頃部の六所社(健御名方命,天穂日命,譽田別尊,伊弉冉尊,倉稲魂命,猿田彦命),字立村の十二社(大山祇命)を合併した。
昭和二十七年(1952)八月,字後谷の大寶社(大國主命)と同字羽黒社(倉稲魂命)を合併し,同年十一月,字甲戸の熊野社(橡樟日命)と同字諏訪社(健御名方命)を合併した。
別山の多岐神社拝殿正面別山の多岐神社拝殿内部
境内はよく整備されている。
別山の多岐神社本殿別山の多岐神社本殿細部1別山の多岐神社本殿細部2
本殿は十九世紀中期の建築だとされている。

多岐神社境内社
左から御嶽社,武布都社,神明社。
「明細帳」は境内社二社を記録する。神明社(天照大御神)と健布都社(武甕槌命,倉稲魂命)である。
神明社の石柱には「文政二年」(1819)とある。

多岐神社狛犬
社殿前の狛犬の台座には「石工 山(?)岸松藏」「征露紀念」とある。

旧鳥居など

西山町別山の多岐神社参道入り口
震災(2007年7月17日の中越沖地震)で倒壊した旧鳥居。
多岐神社社号標多岐神社狛犬吽像多岐神社狛犬阿像
石の鳥居をくぐると狛犬(昭和十四年)や灯籠が並び,「式内多岐神社」の標柱と手水舎がある。

(新潟市県柏崎市西山町別山)
2004.3.22,2011.6.7


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