明治四年(1871)に布告された「戸籍法」により大区小区制が実施された。新潟県では明治五年(1872)に大区小区の編成がおこなわれ,新潟町が「第一大区」となった。
明治十一年(1878)に「郡区町村編制法」が制定され,旧来の町村名が復活することになった。新潟市では翌十二年(1879)に施行され,第一大区は「新潟区」(西蒲原郡)となった。この時,寄居白山外新田(よりいはくさんとしんでん,現在の寄居町あたり)が新潟区に編入された。明治二十年(1887)には,西鳥屋野島(もと西蒲原郡出来島新田に属す。現在の白山浦一丁目,二丁目)を編入した。
明治二十二年(1889),新潟区は「市制」を施行した。この時,西蒲原郡関屋村古新田を編入した。「新潟市」の誕生である(43,911戸)。
以後,たびたび周辺市町村との編入合併がおこなわれ,平成17年(2005)には面積726km²,人口80万の都市となった。