諸国神社めぐり

伊居太神社(池田市綾羽〈あやは〉)

池田市綾羽の伊居太神社鳥居
伊居太神社(いけだじんじゃ)は,池田駅(阪急電鉄宝塚線)の北1キロメートルに鎮座する。池田駅近くの呉服神社に対して「上の宮」と称される。また「穴織宮」(あやはみや)とも称す。(当社の南東約1キロメートルの五月丘にも穴織神社呉服神社が鎮座する。)
五月山の山麓から石段が始まり,大正七年の銘のある鳥居が建つ。額束には「穴織大明神」とある。
由緒には不明の点が多いが,機織り技術の伝来とかかわる伝承が多い。『日本書紀』に見える呉国からの技術の伝来の記事(注)と当社の発祥を結びつけるものである。
中国から渡来して機織・縫製の技術の普及に功績があった縫工女を祭ったのが当社の起源とされている。
呉から縫工女を連れて帰った阿知使主(あちのおみ)と都加使主(つかのおみ)を祭る猪名津彦神社が参道の途中にある。機織の工房があったとされる星の宮が南東800メートルにある。
現在の祭神は穴織媛(「綾織媛」とも表記される),応神天皇,仁徳天皇の三柱である。
なお,当社を『延喜式』の伊居太神社(いこたじんじゃ)に比定する説がある。(ただし,兵庫県伊丹市下坂部4丁目にも伊居太神社が鎮座し,延喜式内社を主張している。)

随神門随神門屋根
随神門は破風の瓦が美しい。
伊居太神社拝殿
拝殿は,舞殿の形をしており珍しい。奥に三棟が連結された本殿が見える。

伊居太神社本殿正面伊居太神社本殿側面
本殿は破風を三つ並べた三社造りというきわめて珍しい構造(千鳥唐破風寄せ造り)で,他に例がないという。
豊臣秀頼によって慶長九年(1604)に建てられものである。

伊居太神社境内社
広い境内には境内社も多い。右は松尾大明神,国常立尊,住吉大明神。奥は両皇大神宮。

伊居太神社狛犬伊居太神社狛犬
本殿を護る狛犬。

(注)
『日本書紀』の応神天皇三十七年に,阿知使主と都加使主が高麗をへて呉国に行き,四人の縫工女(兄媛,弟媛,呉織,穴織)を伴って帰国したとする記事がある。類似の記事が雄略天皇十四年にもある。

(大阪府池田市綾羽2丁目)
2008.2.18, 2009.10.25


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