諸国神社めぐり

沙田神社(松本市島立三ノ宮〈しまだちさんのみや〉)

松本市島立の沙田神社鳥居
沙田神社(いさごだじんじゃ)は,松本電鉄(上高地線)大庭駅の南650メートル,島立小学校の北に鎮座する。
当社は『延喜式』(神名帳)所載の「沙田神社」(筑摩郡三座の一)に比定されている。
「三ノ宮」とも称され,「産の宮」の音通により,安産の神としても信仰されている。
社殿は東向きで,奈良井川の土手下から西向きに長い参道が続いている。
伝承によれば,初め当社の西方十数キロメートルの鷺沢嶽(松本市波田)に鎮座したという(現在も,例祭では旧社地から運ばれた萱で仮殿を作って神事がおこなわれる)。
(ただし現在地も土器や古墳時代の遺物などが出土することから,太古からの神霊の地であったようである。)
大化五年(649),国司が勅命によって当地に勧請し,大同年間(806-810),坂上田村麿が有明山の賊を平定し,戦功を当社の神力によるとして社殿を造営したという。
元亨・正中の頃(1321-1326)の戦乱で本殿を除く建物が焼失した。
祭神は彦火々出見尊,豊玉姫命,沙土煮命である。
明治五年(1872)に郷社に列せられ,同三十四年(1901),県社に昇格した。
松本市島立の沙田神社参道と二の鳥居
長い参道の途中にも鳥居があり,「式内沙田神社」の石標がある。
松本市島立の沙田神社拝殿松本市島立の沙田神社拝殿社号額
松本市島立の沙田神社拝殿細部松本市島立の沙田神社拝殿細部
拝殿は明治十年(1877)の建築である。
松本市島立の沙田神社本殿松本市島立の沙田神社本殿
本殿(明治十八年)は神明造である。左にいくつか境内社が並んでおり,「御子安神社」(安産の神)だけ社号標がある。

松本市島立の沙田神社境内
拝殿前に建つのは「お仮屋殿」で,毎年の例大祭ではこの前に仮殿が作られ,本殿の神璽が遷座し,神事がおこなわれる。
また仮屋殿と本殿の近くに4本の「御柱」が建っている。六年に一度(卯と酉の歳)の御柱祭りで使われた柱である。
創建の頃から伝わるとされる祭礼で,波田地区の山林から運ばれた「御柱」が,周辺の地域の分担によって「御柱立て」される。

松本市島立の沙田神社遠景
北側から社叢を眺める。

(長野県松本市島立三ノ宮)
2017.9.6


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