諸国神社めぐり

末多武利神社(宇治市宇治又振〈うじまたぶり〉)

末多武利神社
末多武利神社(またふりじんじゃ)は,京阪電鉄(宇治線)宇治駅の南東300メートル,「さわらびの道」の途中に鎮座する。
祭神は藤原忠文(ふじわらのただぶみ)である。
天慶二年(939),関東諸国を支配下に置いた平将門(たいらのまさかど)が「新皇」を称した。 翌天慶三年(940)正月,参議の地位にあった藤原忠文(ただぶみ)が征夷大将軍に任じられ,追討軍が関東に向かった。
この頃,関東では平貞盛(さだもり),藤原秀郷(ひでさと),藤原為憲(ためのり)らが将門軍と交戦していた。
同年二月,藤原忠文が関東に到着するより前に,将門は流れ矢によって落命し,乱は収束に向かった。
貞盛,秀郷,為憲は戦功によって官位が進んだが,忠文は大納言の藤原実頼(さねより)の反対のため恩賞にあずかることができなかった。
忠文は天暦元年(947)に没したが,その直後に実頼の娘と長男があいついで死んだ。この凶事が忠文の怨霊の祟りとされ,慰霊のために当社が創建されたという。
末多武利神社社殿

(京都府宇治市宇治又振47)
2019.12.18


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