諸国神社めぐり

月読神社(京都市西京区松室山添町〈まつむろやまぞえちょう〉)

月読神社社頭
月読神社(つきよみじんじゃ)は,阪急電鉄(嵐山線)松尾大社駅の南西450メートルに鎮座する。
『延喜式』(神名帳)に「葛野坐月讀神社」(葛野郡二十座の一)と見える古社で,社格は「名神大社・月次新嘗」である。
創立時期は不明であるが,『続日本紀』(巻第二)の大宝元年(701)四月丙午の記事に「勅、山背國葛野郡月讀神、樺井神、木嶋神、波都賀志神等神稻、自今以後給中臣氏」と当社の名が既に見える。
社伝では『日本書紀』(巻第十五)の顕宗天皇三年(487年)の記事を当社の創立の記録だとする。
すなわち,阿閉臣事代(あへのおみことしろ)が任那に使いした時,「月神」がある人に憑依して「民の土地を神に奉れば福慶があろう」と言い,帰朝した事代がこれを報告し,歌荒樔田(うたあらすだ)の土地を神に献上して押見宿禰(おしみのすくね)が祀官となったとあり,これが当社の起源だという。
創建の地は川沿いであったようで,『文徳実録』(巻第八)斉衡三年(856)の記事に「(三月)戊午、移山城國葛野郡月讀社、置松尾之南山。社近河濱、爲水所嚙、故移之」と,水害を避けて川岸(歌荒樔田)から現在地(松尾南山)に移転したとされる。
『日本三代実録』(巻第二)の天安三年(859)正月二十七日に諸神の位階を進める記事があり「葛野月讀神、平野今木神、並正二位」と,当社が正二位に進められた記録がある。
明治十年(1877)に松尾大社の摂社となり今に至る。
祭神は月読尊で高皇産尊を相殿で祀っている。
月読神社社殿月読神社本殿
祈祷殿と,その奥に本殿。

月読神社境内の御舟社月読神社境内の願掛け陰陽石月読神社境内の太子社
本殿の左に御舟社(天鳥船命)と「願掛け陰陽石」が,本殿の右に太子社(聖徳太子)が祀られてい。
月読神社境内の月延石
太子社の右に「月延石」がある。
この石は神功皇后にゆかりの霊石である。
『雍州府志』(巻之三)「月讀神宮」の条によると,舒明天皇の二年(630年),伊吉公乙なる者を筑紫の伊覩県に遣わし「神石」を求めさせた。この石は朝鮮に遠征する神功皇后が月神の誨えにしたがって出産を遅らせるために用いたので「月延石」と称するという。
今は安産の霊験があるとされている。

(京都府京都市西京区松室山添町15)
2019.9.25


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