諸国神社めぐり

安井金刀比羅宮(京都市東山区下弁天町〈しもべんてんちょう〉)

安井金刀比羅宮参道
安井金刀比羅宮(やすいことひらぐう)は,祇園四条駅(京阪本線)の南東500メートルに鎮座する。
「金刀比羅宮」と称しながら,主祭神は崇徳天皇である。
かつてこの地に,天智天皇の時に藤原鎌足が創建した「藤寺」という寺院があった。聖武天皇の時に「観勝寺」と改称されたという。
崇徳天皇(在位1123-1141)は,この寺の藤を愛したという。
永治元年(1141),崇徳天皇は近衛天皇に譲位して上皇となり,久安二年(1146)に寺を改築して,寵愛する阿波内侍(あわのないし)を住まわせた。
その後,近衛天皇が崩御(1155)して後白河天皇が即位すると皇位継承問題が起き,朝廷,公家,武士を二分する大抗争となり,崇徳上皇方は後白河天皇方に敗れた(保元の乱)。
崇徳上皇は罪人として讃岐に配流となり,恨みを抱いたまま長寛二年(1164)に流刑地で崩御した。
阿波内侍は,上皇より賜った自筆の御尊影を寺内の観音堂で祀ったという。
その後,都を襲った飢饉や火災が崇徳天皇の怨霊によるものとして恐れられ,建治年間(1275-1277),崇徳天皇を祀るために「光明院観勝寺」として整備された。これが当社の起源という。
その後,応仁の乱(1467-1477)の兵火によって観勝寺は衰微した。
元禄八年(1695)に太秦安井(京都市右京区)にあった蓮華光院が当地近くに移転し,崇徳天皇を祀る観勝寺はその鎮守社として再建された。
この時,崇徳天皇の霊に加えて,天皇ゆかりの讃岐国の金刀比羅宮の大物主神と,源頼政公(以仁王の乱で敗死した武士)をあわせて祀った。
これ以後は「安井の金比羅さん」と称されるようになった。
明治になって蓮華光院は廃されたが,鎮守社(観勝寺)は「安井神社」と改称し,さらに現社号(安井金比羅宮)となった。

安井金刀比羅宮社殿安井金刀比羅宮本殿
崇徳天皇,大物主神,源頼政公が祀られている。

安井金刀比羅宮境内社安井金刀比羅宮境内天満宮
境内に,天満宮(安井天満宮),厳島神社などが祀られている。

安井金刀比羅宮境内縁切り縁結び碑
当社は「縁切り」のご利益で有名である。
流罪となった崇徳天皇がいっさいの欲を断ち切ったことに由来するという。
境内に「縁切り縁結び碑(えんきり えんむすびいし)」と称する巨石がある。
形代(かたしろ))に願いを書き,念じながら碑の穴をくぐって往復し,形代を碑に貼り付ける。
(なお,崇徳天皇が寵愛した阿波内侍が当社に住んだことから,「縁結び」の利益もあるという。)

安井金刀比羅宮参道入り口
参道の両側にはマンションやホテルが並んでいる。

(京都府京都市東山区下弁天町70)
2019.3.8
安井金刀比羅宮(公式サイト)


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