諸国神社めぐり

大酒神社(右京区太秦蜂岡町〈うずまさはちおかちょう〉)

大酒神社社頭
大酒神社(おおさけじんじゃ)は,京福電鉄(嵐山本線)太秦広隆寺駅の北東130メートルに鎮座する。
当社は『延喜式』(神名帳)所載の「大酒神社 元名大辟神社」(山城國野城郡二十座の一)である。
社伝では,仲哀天皇八年(四世紀後半)に秦始皇帝の末裔である功満王(本朝の秦氏の祖)が来朝して始皇帝の霊を祀ったのが起源とされる。
この地でもともと疫病や悪霊を「避ける神」である「オオサケノ神」が祀られており,広隆寺が現在地に移転した八世紀後半に,秦氏の氏寺の広隆寺と習合したと推測される。
広隆寺の桂宮院(けいきゅういん)の鎮守となり,明治の神仏分離以前は桂宮院の境内にあったという。
大酒神社社殿
現在の祭神は秦始皇帝,弓月王(ゆんづのきみ),秦酒公(はたさけのきみ),兄媛命(呉服女),弟媛命(漢織女)である。
弓月王と秦酒公は始皇帝の子孫である。
これとは別に,豊彦王,弓削守屋,道祖神などを祭神とする説もある。
『式内社調査報告』によると,境内に木枯社(大国主命),三神の社(瓊瓊杵尊),八幡社(応神天皇),稲積社(宇迦御魂命)があったようだが,現在はすべて本社に合祀されていると思われる。
大酒神社社殿大酒神社社殿

大酒神社石柱
社頭に「太秦明神 呉織神 漢字織神」の石標があり,側面には「蠶養機織管絃樂舞之祖神」「天保十三年壬寅年五月」とある。
功満王の渡来後,百済から多くの民衆が渡来してこの地に定住し,養蚕や織物技術や音楽などの先進文明を広めたとされる。

(京都府京都市右京区太秦蜂岡町)
2018.12.17


京都神社めぐり