諸国神社めぐり

祝園神社(相楽郡精華町祝園柞ノ森〈せいかちょうほうそのははそのもり〉)

祝園神社参道入り口
祝園神社(ほうそのじんじゃ)は,JR(奈良線)棚倉駅の南西1.5キロメートル,木津川の左岸に鎮座する。
地名および社号の「祝園」の語源は「ハフリソノ」で,死体を「投げ捨てた場所」だという。
『日本書紀』(崇神天皇十年九月)に「朝廷に謀反をおこした武埴安彦に矢が当たって死に,その軍勢の大半が首を斬られ,死体が溢れかえった。ゆえにこの場所をハフリソノと呼んだ」とある。
当社の南360メートルの武埴安彦が討たれたとされる場所に「崇神帝十年役 武埴安彦破斬旧跡」の石碑がある。
社伝では,討たれた武埴安彦の怨霊を鎮めるために称徳天皇の勅命によって神護景雲四年(770)に春日社(奈良市春日野町)を勧請して創祀したという。
(その際の斎戒沐浴が現在の「いごもり祭」の起源とされる。)
古くからこの一帯は春日社の荘園で,その縁で春日社が勧請され,土地の神を祭祀していた祝園神社が「春日社」と呼ばれるようになったとも推測される。
祭神については「不詳」とする文献もあるが,現在は春日三神(天兒屋根命,武御雷命,経津主命)を祭神としている。
明治六年(1873)に郷社に列せられ,祝園村の産土神となった。
当社は『延喜式』(神名帳)所載の「祝園神社」(山城國相樂郡六座の一)である。

祝園神社参道
参道の途中に瓦葺の門がある。
祝園神社拝殿祝園神社拝殿から本殿
横に長い拝殿の奥に本殿がある。
祝園神社本殿
本殿は流造である。

祝園神社境内
本殿の周囲に境内社の祠が並んでいる。 稲荷神社(倉稲魂命),出雲神社(大己貴命),有功神社(布留御霊神,道臣命),祈雨神社,熱田神社(日本武尊),西宮神社(事代主命),天満宮(菅原道眞公),熊野神社(伊邪那岐神),大神宮(大日孁貴命),若宮神社(大鷦鷯命)などである。

祝園神社遠景
柞の森(ははそのもり)と呼ばれる社地。
古くは紅葉の名所として知られ,歌にも詠まれているようである。

(京都府相楽郡精華町祝園柞ノ森)
2018.11.14


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