新潟県神社探訪

筥堅八幡宮(村上市勝木〈がつぎ〉)

筥堅八幡宮の社叢
筥堅八幡宮(はこかたはちまんぐう,はこがたはちまんぐう)は,JR(羽越本線)勝木駅の北西400メートル,日本海にせり出した巨大な岩山の頂上に鎮座する。
「神社明細帳」(明治十六年)に「越後国岩船郡勝木村字箱堅山 村社・八幡宮」とある。
鎮座地の岩山は現在は「筥堅山」(はこかたやま)と表記する。
「筥堅」は「筥竪」の表記もある(『越後國式内神社考』〈神道体系所収〉,国土地理院2万5千分1地図など)。「竪」は「たつ(立つ)」の意で,「かた(固い)」の訓はない。「堅」の誤記,あるいは「筥竪」を「はこたて」「はこだて」と読むのであろうか。
應神天皇を祭神とし,延喜二十一年(921)の創立と伝える古社で,勝木村の産土神である。
当社は「延喜式」(神名帳)所載の磐船郡「蒲原神社(カマハラ,カンハラ)」の論社のひとつである。
伝える所によると,筑前の筥崎八幡宮(はこざきはちまんぐう)にもうで詣でた大和国の増子宗信なる者が,御神札を奉じて北国を回り,ここ勝木で誉田別尊の神託を得たのが起源とされる。
はじめ「古宮」の地に鎮座したが,元禄四年(1691)に現在地に遷座したともいう。
明治五年(1872)に村社に列せられた。
明治四十年(1907),字栃木澤の蒲原神社(草野姫命〈かやのひめ〉,大山祇神)と字観音堂の神明社(天照皇大神)を合併した。
「明細帳」によれば,合併された栃木澤の蒲原神社は大同(806-809)以前創立の古社である。この蒲原神社は,北東500メートルに鎮座する大字碁石の蒲原神社とは別の神社である。
筥堅八幡宮を「延喜式」の「蒲原神社」に比定する説に関わりがあるのかもしれないが,詳細は不明。

筥堅八幡宮鳥居筥堅八幡宮参道
当社が鎮座する勝木は,奇岩の連なる景勝地として知られる「笹川流れ」には含まれないようだが,海岸線の絶景はけっしてそれに劣らない。
社殿の建つ標高72メートルの筥堅山は,巨木の混じる原生林に覆われており,山全体が「筥堅八幡宮社叢」として天然記念物に指定(昭和3年)されている。
参道は筥堅山の南東の麓から始まる。石の鳥居は天保九年(1838)。
山頂の社殿まで苔むした石段の急登がつづく。

筥堅八幡宮の拝殿筥堅八幡宮の本殿筥堅八幡宮拝殿
拝殿の背後が海に面した垂直の断崖になっている。それが理由か,本殿は,拝殿の背後ではなく,右側に置かれている。本殿の向きは南西。
本殿が南西を向くことについて,ここから約500メートル先にある「鉾立岩」と称する奇岩への祭祀との関連があるのではないかという指摘がある(『式内社調査報告』第17巻)。(→参考:碁石の蒲原神社の項目)

筥堅八幡宮境内社
境内に豊栄稲荷がある(石祠)が,「明細帳」などには見えない。

筥堅八幡宮は,式内「蒲原神社」であることをみずから標榜してはいない。式内社であるか否かは別にしても,社地の奇観などから考えて,ここが太古以来の神域であることは間違いなかろう。江戸時代以降は,漁業・海運関係者の信仰も集めた。
式内「蒲原神社」の別の論社は,ここから北東に約500メートル,碁石集落に鎮座する蒲原神社である。
また,当社からはるか南の関川村下土沢の白山神社が「式内・蒲原神社」を合祀したという伝承が『関川村史』に紹介されている。

(新潟県村上市勝木1411,JR勝木駅より徒歩15分)
2003.8.10


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