にいがた百景

浪士佐藤一郎の墓(新潟市西区大学南1丁目〈だいがくみなみいっちょうめ〉)

浪士佐藤一郎の墓全景
浪士佐藤一郎の墓は,JR越後線の団九郎踏切(越後線188番 だんくろう踏切)の近くにある。
慶応四年(1868年),越後の地にも戊辰戦争の波が及んだ。そうした中,内野村で事件がおきた。
その年の三月の下旬,内野村(現在の亀貝,青山,小針,寺尾)から五十嵐浜にかけて金持ちの家があいついで強盗に襲われた。
さらにその月の三十日,内野村の宿屋に宿泊中の五人の男が二階から金を撒き,不審者として捕り方が出動する騒ぎとなった。五人は刀を抜いて抵抗したが逮捕された。
事は酒屋(地名,新潟市江南区)の会津藩陣屋に報告され,翌四月一日に役人が来て,賊を団九郎砂崩の地(現在のJR越後線のだんくろう踏切)で斬罪に処した。首領の名は佐藤一郎と伝えられ,食いつめた勤王派浪士かと推測される。

浪士佐藤一郎の墓
今,墓石が踏切の上手に残っている。石には「嗚呼命哉浪士之墓」「慶応四年四月朔日」「南无阿弥陀佛」とある。
かつては墓石を九本の老松が囲んでいたが,1995年頃すべて伐採された。

(新潟市西区大学南1丁目,JR新潟大学前駅から徒歩20分)
2008.9.24


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